※この物語は、実在のVTuber様、並びに人物とは一切関係がございません
のちに彼は、自伝本の中で語った。
「その出会いは一瞬で、私の人生を変えた」
2017年末。1つのブームが巻き起こった。それは、バーチャルユーチューバー。
誰でも美少女や男性、魔界の民、天使、機械、ゴリラ、忍者、美少年、ひよこ、ワニ等等、何にでもなれることが出来る夢のような文化だ。
「一時の流行りで終わるだろう」
それを眺めていた一人の男性は、薄暗く濁った空気の漂う自室で、PC画面を覗いていた。
怠惰を表現する肥えた体に、ニキビのある顔、贅肉からあふれる皮脂は数日ほど水に触れていない。泥のように濁り腐った眼は、アニメキャラを映すのに忙しい。
彼の居場所はネットと、自分の部屋だけ。名前は、小野小路(おの こみち)。
定職についていたが、社会のもたらすストレスにより退職。残された50万円の預金を食いつぶしながら、ジリジリと押し迫る破滅の音を楽しんでいる27歳の男性だ。
「というかアニメだよ。こんなの見るよりも。目障りだわ……こいつかわいいけどまた男の声だし。アニメだよアニメ」
彼は。流行に乗り遅れた。のっている彼らを、羨望のまなざし以上に、濁り切った嫉妬の目で見ているだけ。日が経つにつれて盛り上がるエネルギッシュな界隈を、冷ややかな評論かぶって眺めることで優位に立とうとしている。
立ったところで何も得られないのを分かりながら。
「バーチャルユーチューバーアンチスレ眺めて、炎上ネタ探そう」
暖炉にくべる薪を探しにいく片手間に、艦船擬人化スマホゲームをいじる。クリックしていく過程で様々な情報を得るが、どれも信ぴょう性が薄い。
……その中に、気になる情報があった。
【マジマンジという企業系Vライバーが現れた】
スレ内はその話題で盛り上がっている。量産型VTuberが現れたことによる消費VTuberの増加で、この界隈は一気にオワコン間違いなしという機運も上がっていた。
「出たか。企業系特有の適当商法。これなら勝手につぶれるだろうな」
何が嬉しいのかもわからないまま笑う小路だが、それらの画像を見ていく手が、止まった。
「……え?」
瞬間的に彼を襲った感情は、嘘偽らざる「可愛い」だった。
静丘ルン。佇まいと良い顔立ちと言い、全てが小路の好みにハマっていた。アニメキャラでも見たことのない可愛さに、すっかり心を奪われていた。
「……いやいや!! だが、どうせ2D、出来ることなんか高が知れている!!! ハマるわけがねえ。どうせVTuberとか、炎上案件持っているやつらばかりだろ、だまされんぞ!」
しかし。そこからは加速度的に。彼の時間は過ぎていった。
ルンは2Dという制約の中、トーク力、統制能力、多くのゲリラ配信や、ASMRなどを駆使してファンの心を掴んでいった。声質も好みとくれば、小路に抗う術などなかったのだ。
小路は無職であることを心から感謝していた。ルンの全ての配信に顔を出し、彼女にコメントが読まれたときの喜びは、天にも上るようだったと語る。
そんなある日。
「実は、今日から100日後。しっかりと体を仕上げた人と、会話をする企画をしたいって思っています。自慢の筋肉を持って私の所に来てくださいね」
ルンから通達されたファン参加型イベント。それは、筋肉フェチ(公然)である彼女が得をするイベントであった。企業案件のイベントで、「筋肉量ミエール」という新製品からのオファーであった。計測筋肉量が60kgを超えた人と、100人まで、気のすむまで、トークできるという夢のような企画。
「ばかな……凄い、ルン様と喋れる……しかし」
不摂生と怠惰の極みを経た男の体がそこにはあった。今までのツケがここに来て回ってきていた。……だが。100日だ。
「ルン様は100日をかけて待っているのだ。自分の成熟を」と、勝手に小路は思い込んだ。
小路は調べた。出来るだけ体に負担をかけずに済む有酸素運動、プロテインに至るまで。筋肉を作るための努力をするべく、その日から彼はトレーニングに励んだ。
起床し、朝食をとり、取った栄養を燃焼するような運動をし、昼食後に小休止、鍛えに鍛えて夕食にルンのアーカイブや生配信を見ながら英気を養い、ASMLで眠りにつく。
音を上げ始めた体を叱咤激励し、とにかく扱きに扱いて体を絞りに絞った。
「……ちょっと待てよ? いざルン様に会えるとして、俺はどんな格好で会いに行くつもりなんだ???」
自分の持つ私服などダサさの極みだと、かっこいい服などを探すが、どれもこれもが高かった。貯金を切り崩し過ぎては、今後ともルンを視聴するのは厳しい。
「働こう。土方で」
給金もよく、体を動かすお仕事。約一カ月をかけて絞った体にとって、重労働は苦も無く済んだ。筋肉がついていくにつれ、小路は次第に、自分自身への自信が付いていくのを感じた。
生活のサイクル内に必ずルンを据える。それを軸にして生活時間などを定める。
部屋は日の光も差すようになり、空気は爽やかで寝起きもいい。
好きなVTuberと出会っただけで、彼の人生は激変したのだ。
そうしてイベント発表から90日が経過したころ、以前の彼の面影はどこにもなかった。
鍛え抜かれた筋肉は、全ての不安も自信のなさも払拭し、ルンの上げた筋トレ動画の全てをこなしても、疲労がたまらないくらいに成長していた。
イベントのために鍛え上げた自分の体を、Twitterにアップした時、数多くのいいねを獲得した。そして、ルンがツイートに反応をよこした。
「わぁあ! 素晴らしい筋肉。触りたい、この手で直接触りたいわ!」
嫉妬のツイートもあったが、圧倒的筋肉に、小動物オタクは黙っていいねを付けていった。
優位に立ったことによる愉悦を感じる以上に、ルンから称賛を賜ったことが何よりも嬉しいと感じていた。
小路の身なりは整っていた。土方で培った肉体と、給金によって得た全てが、服飾などの身なりを整えるために費やされていった。たった一度の会話のために。彼は全てをかけていた。
事件は、その7日後に起こった。
アンチにより、静岡ルンの素顔(魂)が流失したのだ。
「なんだ。そんなことか」
しかし、鍛え抜かれた体を持った小路は、何ら動揺していなかった。鍛えていないファンも、特に気にする様子はなかった。アンチスレを覗くと、「ファンはやせ我慢をしている」等の書き込みが並んでいる。ネガティブな事だらけで、小路はため息をついた。
自分も、少し前にはここにいて、変わらなければ、そのままだったのだろうか?
小路は、ルンに感謝した。今の彼には、ルンと出会える感動以上に、感謝の気持ちであふれていた。汚れ切って、何も出来なかった自分が、誰の前に出しても恥ずかしくない男になれたこと。
「初めまして、ルン様」
『あ。あの素敵な筋肉の方ですよね!? 凄い、本当に凄い筋肉!!!』
イベント当日。設営された小屋の中で、大きな液晶画面に映った3D体ルンとの、1対1での対談。この模様は配信されるというのも通達済みだ。
制限時間は特に設けられていないが、彼女の熱烈なファンたちは秘密裏に「各自10分か20分まで」と定めていた。長すぎては配信などで疲れを引きずりかねないという配慮だ。
筋骨隆々の若者たちがそこにいたが、バシッと決めたビジネススーツといういでたちの小路に、若者たちは気おされていた。
小路の番になったとき、ビジネススーツを脱ぐ。そこには贅肉の付け入るスキのない壮観な筋肉があった。土方も、水泳も、スポーツ諸々も経験し、彼はその身を磨きぬいたのだ。
小路は知っている。彼女の実名なども公表されたとき、ルンの魂の年齢が、自分よりも一回り大きいことを。しかし、目の前のモニターに映るルンは、間違いなく今まで自分の見知ったルンであったという再認識で、上書きされる。
「ありがとう。……ありが、…っ」
言いたいことが山ほどあったにもかかわらず、小路は感謝の言葉すらも喉を満足に通らない。そんな気持ちを汲んだのか、ルンは小路に手を差し伸べた。
進化した3D体が、今までにないモーションをルンに与えていたのだ。
画面、1枚のガラス越しに、しっかりと小路はルンと掌を合わせた。
引け目だらけの人生を激変させた女性の顔が、なんとも慈愛に満ち溢れているように見えてしまった小路。再び落涙をした。生放送中で、コメント欄も応援を飛ばしている。
(なんて優しい世界だ)
小路は、自分の人生が変わったこと。自分の好きな人のために頑張れたこと。頑張ることの心地よさも含めて、幾度も感謝を述べた。
その日以降彼は、ルン様ガチ恋勢トップランカーに位置付けられた。マッチョスーツ先輩とも呼ばれ、敬われた。
その称号を得ても、小路はのさばることなく、質実剛健な日々を過ごしていく。
貯まった給金を、配信ごとに必ず2434円贈る。高すぎる御捻りは、相手を委縮させかねないというファン暗黙の配慮だ。小路は最近、お金がたまったら自営業をしようかとも考えていた。
そのためには多くの知識も必要だろう。だが、自分が好きな時に好きなことが出来る仕事を彼は望んでいた。もっとルンの配信を見るために。
「だが。ルン様も永遠不滅ではないだろう」
アニメキャラであれば、中の人の代替わり、作画の新調でキャラクターは存続が可能だ。
反面VTuberの魂(中の人)は替えが利かない。数多くのファンを獲得したルンの手腕は、今の魂なしにはあり得ないのだ。加齢とともに、外見と中身の祖語が生まれ始めるであろう。不幸もあるであろう。
その真実を知ってしまった時の小路は、数日陰鬱になりながら筋トレに励んでいた。
「こんな辛いことになるならば、VTuberを知るべきではなかった」と思った日もあった。
「だからこそ、今を大事にしたい」
今自分の打てる最善手を、小路は今日も模索し続ける。好きなVTuberのために。まっすぐに。その目は、未来を見据えていた。
(了)
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