優しい世界は0から。架空の中に作られた

 

初めに。私は面白い動画があると思った。

竹生え散らかしたり、引き笑いが可愛かったり、世知辛かったりした。初めて受けた印象はそんなもので、引き続き少年ジャンプを購読したり、アニメ見たりゲームやったりするのが普通でした。この時の私は、バーチャルユーチューバー(以下「vtuber」と表記)にドはまりするなど、微塵も思っていなかったのです。

一過性のブームで終わり、半年で風化するようなジャンルだと、高を括っていました。認識が変わったのは、個人vtuberの台頭。どんどん現れるキャラクターの多さ、濃さ、千差万別の人物像に、たちまち骨抜きにされた。

 

次に。私はそれまで書いていたブログの記事が、vtuber一色に変わっていった。

そんな中で起きた事件があったり、それの記事を書いて評価を得たりした。そうしているうちに私は、微力ながらも、4年をブログの記事に費やした筆力を引っ提げてこのブログサイトを立ち上げました。出会うことも何もかもが色づいていて、後から後からくる押せ押せな雰囲気が、私は大好きでしたし、今でも大好きです。

 

そんな中で、事件はまたも起きた。

その事件の明言は避けますが。私があまり親交のないvtuber様が、やらかしを立て続けに起こしたことによる騒動。対応の仕方や、その罰に関することで、vtuberというものに一つの問題が提示されました。

 

曰く、「優しい世界」とはなにか?

 

多分、答えなど見つからないこの言葉は、やらかしをも包み込む、優しさを盾にした狂気の世界ではないかという風潮もあります。

そんなわけはない。だから様々な方々がこの話題を述べていきました。好意的な意見も、攻撃的な意見もあった。或いは、自分の信じた優しい世界が侵されたことを嘆く声もあった。

 

再度問います。「優しい世界」とはなにか?

 

答えましょう。「そんなもの最初はなかった」

 

最初。電脳少女シロちゃんですら、登録者数が1万人に届かなかった、去年の暮れ。ときのそらちゃんが時間をかけてvtuberとして成り立っていった過程。今でこそ有名個人vtuberのあっくん大魔王が1000人に届かず、喘いでいた時期があった。

ツイッターでの交流による相互干渉や、動画の試行錯誤などがあり、少しづつ着実にファンを獲得していった時代。そのころは、コラボもなければ生放送の多さも目につかなかった、本当に動画でファンを増やしていた時代です。

自らをプロデュースし、自らが動画を作り、自らが能動的な行動を示す。

前人未到の領域を、アイちゃんを筆頭に少しづつ、草の根を分けて進んでいった。

そこにあるのは優しい世界というよりも、とてつもない開拓世界だった。

 

前を歩む者たちと、それを支えるファンが優しかった。

生まれ出る新人vtuber様たちは、彼らの背についていった。それをファンが追っていた。

vtuberを応援したい、支えたいという思いがあるファンの後押しが、

ファンアートを贈り。記事を書き連ね。励ましのリプを送り。一緒に悲しむこともしてきた。

それは優しい世界を守るための行動ではなく、優しい者たちによる切磋琢磨と一致団結一蓮托生の、ありふれた優しさだった。

 

時に思い切り悲しい日もあった。

つらい別れと心労の果て、言われない疑いをかけられ、心無い言葉を浴びせられる人がいた。筆を握る力のあった私は、彼のために、初めて誰かのための記事を書いた。

その時の私は、「優しい世界」なんて言葉を知らなかったし、自分の行動を、優しいなどと1文字たりとて思っていなかった。この時の気持ちを言い表すなら、これも後から聞いた言葉で「just doit!」の精神だったと思います。

恐らく、1分でも遅れたら、もうそれで何かが壊れてしまいそうな焦燥感があの時はありまして。伝えたい気持ちを誠心誠意書き整えたその文章は、どうにか読まれました。

全て終わって、その方の復活にファンが沸き立つその陰で、私は優しさを感じるより先に、

「やってやった」とガッツポーズをしました。

 

どんな荒波があったとしても、vtuber様は止まることがなかった。

増え続け、野心を抱く者たちが現れていった。

面白い動画を作りたい者。

可愛さを世に出したい者。

男の娘を世に広めたい者。

自分に課した苦行を乗り越える者。

承認欲求を満たしたい者。

友達を作りたい者。

そのどれもが強烈なキャラを有していて、個性と個性のぶつかり合いになった。私は上記の全ての理由は、vtuber様になる理由として適解だと思っています。それくらい、「最初の一歩が比較的優しい」世界なのです。

踏み入れた先にある苦難も、先人の切り拓き、舗装された道が続いている。

後進が素早く周知され易くなっている。

技術提供動画もある。

なんならファンが積極的に背中を押してくれる。

 

十分優しいと思います。切磋琢磨して、後進もきっちり育ててきた結果生まれた、

 

優しい世界は皆で無意識に作られた副産物

だと、私は考えます。誰もがこれをお題目にvtuberを始めたわけでもなければ、これを目当てにvtuberを追っかけたわけでもない。

vtuberは、そのファンは、「優しい世界」という看板に囚われてはいけません。

そこにvtuberの本質はないのです。

そして正しくは看板ではなく、【雰囲気】です。

皆が創意工夫と熱烈応援を繰り広げて今があるのです。この雰囲気がvtuberであると誤解を受けるほど、優しい世界という単語は界隈を包み込むように育まれていきました。

 

雰囲気に色があったとして、今は混とんとした色合い

であって、人から見ればそれを「綺麗」「歪」「輝いている」「濁っている」となんとでも表現できます。色を決める者がいないうえに、出す雰囲気がvtuber全員千差万別であれば、優しい世界は色塗り合戦の真っ只中でしょう。

貴方の気の持ちようで、この雰囲気を見たときの感情は変わります。

どす黒い色を混ぜ込まれたとき、それでも輝いていると言えるか、それとも拒絶反応か。今問われているのはその景色を楽しむ余裕のあるなしで、自分のどす黒くなった感情を、失望と嘆きと共に混ぜ込もうというのが今の段階です。

 

でも安心してください。貴方の好きなvtuberはそこにいます。

面白い動画、企画、生放送、絵、ボイス配信、などなど。多様な形で私たちにエンタメを届けてくれます。私たちと同様に、悩みながら、進みながら。振り返る暇もないほど。

時に再生数や登録者が伸びないと嘆く人もいます。

時に増えすぎた登録者数に縛られて発言が困難な方もいます。

同じ道を辿ったvtuberの方々以外にも、貴方たちが手を差し伸べることだってできます。

 

人の憂いに寄り添ってあげてください。

 

貴方がまた、好きな色合いの優しい世界を見たいと思っているのであれば、自身の心に住むどす黒い気持ちは、ぶつける前にこね上げてください。

こねたエネルギーは、誰かを励ます力にしてください。

今そこにある好きが曇ったとき、危ないと思ったのであれば、早急に助けてあげてください。

 

優しい世界が壊れたのなら、修復しましょう

壊れっぱなしなど勿体ないです。

副産物でも、皆が作ってきた大事なものに変わりはありません。

大事なものが壊れて悲しみに暮れたなら、ひとしきり泣いて修理にあたりましょう。泣いてばかりでも嘆いてばかりでも、貴方の求める優しい世界は帰ってこないのです。

 

どうか、最初の気持ちを思い出してほしい。

vtuberを好きになったのは何故か? その最初の気持ちが、嘘偽りないあなたの初心です。これをどうか思い出してほしい。

 

少なくとも私はまだ、未だ帰ってこないvtuberを待っているので、まだまだこのVtuber界隈に関わり続ける所存です。vtuberを楽しんで待っているのです。

 

 

以上です。

何やら抽象的な表現が多く具体性がない文章になりましたが、最初の気持ちを思い出してもらいたい気持ちで書きました。1人でも多くの心に届けば幸いです。

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